「いつまで続き、どうなってしまうのだろう?」ここ東大和でも体験したことのないような長く大きな横揺れが続き、相次ぐ余震で不安を感じた市民が大勢いたことでしょう。当日は帰宅困難となり、何時間もかけて帰ってきた方もいたでしょう。電話やメールが不通となり、原発事故による放射能の不安、計画停電による日常生活への影響など、市内においても安心できない状況が続いています。私たち東大和市民も大きな被害はなかったものの、「安心」が揺らぎ、その不安から、商品やガソリンの買い占めなどがおきたのだと思います。今回、多くの方が、防災について考え直したのではないでしょうか。
さて、私は今回の震災で2つのことを強く感じました。
1つは児童や高齢者の方の家庭での過ごし方です。地震が発生した時、まだ学校にいた児童・生徒は先生とともに避難しました。しかし学校から帰宅していた児童の中には1人で、あるいは兄弟など子どもだけで地震にあった場合も多く、不安や恐怖を感じた子どももたくさんいたと思われます。近隣の方が声をかけて下さったケースもあったようです。あらためて、地域コミュニティのあり方や、放課後子ども教室の充実など、防災あるいは防犯の面から子どもの見守り方を考えていきたいです。また、高齢者や要介護の方についても災害があった時の避難方法を含め、日頃から地域で支えるしくみの必要性を強く感じました。 もう1つは原発の問題です。『想定外』では許されない事態が起きてしまい、放射能が漏れて状況はますます悪化し、廃炉にすると決めたものの、事態を収束するには長い年月がかかります。これは明らかに人災であり、人間の手に負いきれないものを今後も使い続けるのか、私たち一人一人が考えていかなければなりません。福島でつくった電気を東京の私たちが使っていることは計画停電で身をもってわかりました。原発の問題は遠くの地の問題ではなく、私たちが日常いかに電力に依存した生活をしているかの問題であり、その電力をどのように作るかの問題です。『温室効果ガスを出さない原発はクリーンなエネルギーです』、という考えを見直し、エネルギー政策の転換を図るべきです。
現地においては復興へと進みつつあるようですが、まだ不明者が1万8千人を超え、避難所生活を送っている方々も20万人近くいらっしゃいます。再び日常を取り戻せるようになるには長い年月がかかります。離れた場所にいても被災地のために私たちができることは、まず、被災された方のことをいつでもわすれずに考え続けることだと思います。復興までの長い年月の間に必要な支援は変わってくると思います。いつでも関心を寄せていれば、何かできることが必ずあります。小さなことでも一人ひとりが心がけて積み重なれば大きな力になります。大切なことは忘れないことです。(じつかわ圭子)